第6回 公衆衛生の倫理

公衆衛生とは何か

2020年からの新型コロナウイルス感染症の拡大(パンデミック)により、世界中で多くの人命が失われました。これは公衆衛生に課せられたチャレンジでした。公衆衛生は、市民の健康に関する問題を解決し、そして健康の増進を目指す営みです。

公衆衛生の倫理の基本

公衆衛生倫理のメインの仕事は、公衆衛生に関わる政策の正しさと不正さを評価することです。その評価には「医療倫理の四原則」が有用な整理ツールとなります。

医療倫理の四原則とは、自律尊重、無危害、善行、正義の四つをいいます。

「自律尊重」は個人の自律的な意思決定の尊重を要請します。それを原則に置くことで臨床や研究の場面ではインフォームドコンセント1の義務が導かれますが、個別が対象のインフォームドコンセントは、集団が対象となる公衆衛生においてはしばしば不可能です。かわりに公衆衛生では、個人の自由の制限の低減、代替となる選択肢の提示、適切な情報提供、政策決定における透明性の担保などが自律尊重原則から導かれます。

「無危害原則」は、ハーム・リダクション、すなわち生じうる危害やリスクの最小化を要請します。公衆衛生においては、無作為も含めて政策ごとに身体的リスク、精神的リスクはもちろん、加えて社会・経済的リスクに関しても考慮されなければならないでしょう。

転じて「善行原則」は、効果の最大化の要請となります。公衆衛生政策の主要な効果は市民の健康状態(その健康をウェルビーイング2と広い意味で解した上で)の向上です。

「正義原則」は、資源の公正な分配を要請します。アクセスの平等性、社会・経済的格差の是正などが正義原則から導かれると言えます。

公衆衛生政策と価値の対立

公衆衛生政策においては、価値の対立がしばしば起こり、それがジレンマ状況を作り出します。典型的な対立軸は、公衆衛生の効用の最大化と市民の自由の制限です。新型コロナウイルス感染症対策に関しては、ソーシャル・ディスタンシングにこの対立が現れました。

価値の対立を調停することは容易ではありません。熟議を経て折衷案を見出す必要があります。公衆衛生政策の場合、そこに時間的制約という困難が上乗せされます。公衆衛生的な介入の多くは迅速性が求められます。そうした中で、政策を決定するにあたっては、プロセスの透明化、議論への市民参加など、民主主義的なシステムの尊重が欠かせません。

まとめ

公衆衛生倫理は喫緊の社会課題に即時に適用されていく極めて実践的な営みです。いつまた新しい感染症パンデミックが起こるか、だれにもわかりません。それに備える公衆衛生政策を倫理的に吟味する必要がリアルタイムにあります。こうした責務を有する公衆衛生倫理は、今後ますますその重要性を高めていくと予想されるでしょう。

*1
インフォームドコンセント(informed consent)
医療従事者が必要な診療情報を提供し、患者さんやその家族が病状や治療について十分に理解した上で、患者さん自らの選択に基づき、関係者たちが治療方針に合意すること。

*2
ウェルビーイング(Well-being)
身体的にも精神的にも社会的にも満たされた良好な状態。

(文:医療倫理懇話会)

今回のテーマについてさらに知りたい方には下記の本がおすすめです。
・『公衆衛生の倫理学―国家は健康にどこまで介入すべきか』(玉手慎太郎著・筑摩書房 2022)

※おことわり:この記事は市民向けのもので、学術的な厳密さよりも、理解のしやすさを優先しています。また、お問い合わせをいただいても回答しておりませんので、あらかじご了承ください。(ホームページ管理者)

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